アマゾン移民物語

第二部・森の昆虫学者・ピエールさんの場合

PIERR JAUFFRET(以下ピエール)さん(62)、1937年7月1日、南仏地中海岸の漁村 TOULON で学校教師の夫婦の間に生まれる。フランスでは知る人ぞ知る昆虫学者。インドネシアでの生活、アフリカでの兵役を経、サハラ砂漠の仏系石油会社で働いていたピエール氏のもとに、ある日一通の手紙が舞い込んだ。その数日後、彼は南米の大地を踏むことになる。(1999年4月28日、サントアントニオ・ド・タウア市のピエールさん自宅にてインタビュー)

 

インドネシアへ

フランスを出たきっかけについて教えてください。

フランスに居たのはマルセイユ大学の理学部を卒業する22歳のときまで。1959年の5月に卒業して、それから何ヶ月かしてインドネシアに旅行する機会に恵まれたんだ。フランス外務省から往復のチケットをもらってね。その代わりに幾つかのことをするという条件があったけど。船に揺られること21日間、ジャカルタに着いた時は勿論言葉もしゃべれなかったし、ポケットには10ドルしか無かった。

インドネシアにはどれくらい居たんですか?

1年半くらいかな。最初ジャワ島にいて、言葉や生活に慣れてから旅行を始め、バリや、ロンボク、スンバ、そのあとコモド島をまわってボルネオまで行った。そこで小さなカヌーを買って、それでカプワス河を溯ったんです。ほとんど源流に近いところまで行くことが出来た。ポンチアラック(街の名前)を出発するときは、現地の政府に強く引き止められてたんだけどね。あそこまで辿り着いて、生きて戻ってこれるとは誰も思わなかったらしい。僕に何かあったら後でフランスとの間で問題になると思ったんだね。

でもその時は一人で?

うん。

モーター付きのカヌーだったんでしょ?

まさか。自分で漕いでいったんだよ。首狩り族がいるところまで行けたよ。そこで彼らとしばらく一緒に暮らしたんだ。

その時も彼らは首狩りの習慣があったんですか?

いや、もうその頃はやってなかったみたいだ。でも所々に首が吊るしてあったよ。かなり古いもののようだったけど。

彼らとの間でトラブルは無かったんですか?

一回も無かった。僕はこの後にも先にも、森の民たちとの間にトラブルを起こしたことは一度も無いんだ。街では色々起こしたけどね。森では一回も無い。

ピエールさんが、そこに入った最初の白人だったんでしょうかね。

多分そうだと思う。僕が行き着いたのはボルネオ島の中西部だった。

そこまで行った目的はなんだったんですか?

昆虫採集さ。あと写真を撮ったり、取材の仕事も兼ねていた。2ヶ月位いたかな。

彼らと暮らしていたときのエピソードとか、楽しかった思い出なんてありますか?

ないなぁ。単調な生活だったよ。ああ、そう言えば、カプアス河の源流付近でオランダ人の宣教師に会ったことがある。彼は原住民の中で一人で暮らしていてそれこそ何年も白人と会っていなかったようだった。彼の家に4泊くらいしたんだけど、それはもう良くしてくれてね。物凄いご馳走をしてくれたんだ。でもそのおかげで腹を壊したよ。それにしても、彼はかなり貧しい生活をしていた。

そんなところにも西洋人が入り込むものなんですねぇ。

ああ。その後何度か森のなかで宣教師にあったことがあった。僕はカトリックでも何でもなくて、無宗教なんだけど、彼らには心底関心したよ。素晴らしい仕事をしていると思った。彼らの仕事はもっと尊重されるべきだと思うよ。

そのあとフランスに戻ったんですね。

ああ。マラリアと一緒にね。

ボルネオの森でかかっちゃったんですか。

ああ。それから20年間は時々再発して苦労したよ。

えっ、そんなに長い間!

ああ。だからその後ブラジルに来た時もどこを歩くにしても常に薬を携帯していたよ。いつ危ない状態になるか分からないから。マラリアは少しずつ治っていくもので、今はもうすっかり大丈夫だけどね。あの時集めた昆虫のコレクションはパリ博物館に寄贈した。あとフランスの実家にも残してある。母さんが管理してくれている。母さんは93歳だけど、まだ元気に僕のコレクションの面倒を見てくれているよ。

さて、フランスに戻って。

うん。フランスには一文無しで帰国した。

全くの一文無し。

そう。で、あの時期フランスは植民地戦争の真っ最中だったからね。アフリカ諸国が独立したがってたのを、本国が防ぎにかかってた。一文無しだったし、兵役は義務だったから、仕方なく戦争にいったよ。3ヶ月の集中訓練をうけて、その後アルジェリアに破壊工作員として派遣された。アルジェリアに2年、サハラ砂漠近くの前線に1年いたよ。軍役が終わって、何かしなきゃと思ってたところで、当時サハラ砂漠で石油発掘をしてたフランスの会社で働きはじめた。その時友人から1通の手紙を受け取らなかったら、そのままあの会社で働いてたかもしれない。

 

仏領ギアナへ

その手紙っていうのは?

うん。ちょっと溯って話さなきゃならないんだけど。フランスの僕と同じ街出身の新聞記者が未知のインディオ部族の取材のために仏領ギアナの森に入った。1年後、森の中で、彼の残した荷物だけが発見されたんだ。その後捜索はしたが、本人は見つからなかった。その手紙っていうのは、その新聞記者の父親で、僕の知人でもある男からで、彼と一緒に森に入って一緒に息子を捜してくれっていう手紙だった。彼は自分でも捜索を試みたんだが、結局見つからず、こんどは僕の協力を得て、もう一回探してみたいというんだ。その手紙を受け取ったその日に、フランスに戻って、すぐに仏領ギアナ入りして、友人に会って5ヶ月間森の中で彼の息子を一緒に探した。

でも彼は見つからなかった。

見つからなかった。死んでしまったんだと思う。3年後くらいに彼の名前の入ったアルミニウムのコップを森の中で見つけたんだ。

それにしても、よくもそんな大変な頼みごとを即座に引き受けたものですね。仏領ギアナに行くこと自体に魅力があったとか?

それはそう。ずっと行きたかった所だった。それにしても、僕が着いた時彼はお金を全く持っていなくて、捜索費用は全て私が払ったんだよ。

そんなばかな。そんなに仲の良い友人だったんですか?

いいや、顔見知りという程度なんだ。でも、僕はインドネシアから帰ってきた時にテレビに出たりしてて、ちょっとした有名人だったから。サバイバルのプロだと知って頼んできたんだと思う。

それにしても、顔見知りの人の行方不明の息子探しの費用を全部払ってあげるなんて、信じられないけど。

でも彼はお金を持っていなかったからね。しょうがない。

お金持ってなかったから、払ってあげた。

当然だよ。払った。

(笑)うーん。当然といえば言えなくもないけど、普通はそこまでしないと思いますよ。

そうなんだろうね。僕のこういう所が原因でいつも家族とけんかになる。今はここで熱帯魚を育てて売ってるんだけど、お客さんでも意気投合すると、魚をすぐただで上げちゃうんだ。性格なんだ。

話をもとに戻しますが。その後フランスに戻ったんですか?

いや、もう戻らなかった。仏領ギアナには5年いたよ。森を切り開いて道路を作るっていうんで、山刀を持って先頭を歩き、トラクターがその後入るための道を切り開いていくという仕事をやったんだ。何ヶ月かやったかな。そのあとで英領ガイアナ(現在はガイアナ)に住んでいる人から仕事の話があって。ゲリラ集団のトレーニングの教官にならないかということだった。左翼の外人傭兵部隊だね。給料は月400ドルで安かったけどね。

無いよりはまし。

そう。で何ヶ月か勤めた後仏領に戻ったら、今度はインディオにフランス語を教える学校をフランス政府が作るというんでその教師にならないかと言う話があった。勿論引き受けたよ。給料は安かったけど。自分のあの時代はとても気に入っている。3年くらいいたんだ。

で、フランス語を教えた。

いやいや、何でインディオにフランス語を教えなきゃならない?そんなの馬鹿げてるよ。僕はインディオの村で彼らと生活を共にして、出来るだけの手伝いをしただけさ。医療品を送ってくれる友人がいたしね。それから本国からも探検にくるフランス人が後を立たなかったが、彼らはインディオの民芸品をただ同然で買いたたいたりしてたんで、そういうことを辞めさせるようにもした。彼らがこの地で生き残れるような手伝いをしたかったんだ。でも、フランス政府はそれが気に入らなかった。フランスの政策としては、インディオの自治なんてとんでもない、彼らを取り込むのが目的だったんだからね。

辞めさせられた?

ああ。もう仏領ギアナにはいられなくなった。解雇通知を受け取ったその日に荷物をまとめてそこを出たよ。歩いてブラジルに着いたのはそれから3ヶ月後さ。二人のインディオが途中まで附いてきてくれてね。1977年だったか。

それでブラジルで最初の街が…

ベレンだった。

 

ブラジルへ

その時懐には…

勿論何も持っていなかった(笑)。ポルトガル語も話せなかった。

最初になにをしたんです?

運が良かったよ。まずフランス領事館に行って、ベレンにフランス人がいるかどうか聞いてみた。6人居たんだけど、その内の一人が材木輸出の会社を経営してるってんで、そこで雇ってもらった。6ヶ月働いて金を溜めた。

6ヶ月だけ?

ああ、その溜めた金で金を買いにイタイツーバという街に行って、それを仏領ギアナで売ろうと思ってね。でもそこに15日間くらいいたらお金が無くなっちゃった。

え? なんで?

いやぁ、女とか酒とか…。(ちょっと照れながら)僕も若かったからねぇ。そのあとサンタレンまで出たら、ちょうどアメリカ人が何かの講習会を開いてて、そこでフランス語を教えてくれというんでアルバイトした。3ヶ月いたら帰る金が溜まったんで、ベレンに帰ったよ。そこで前働いた材木会社でまた雇ってもらった。

そこではどんな仕事を?

人を4人くらい使って、色んな所に行って木材を切り出して、それを筏に組んで河に流すっていう仕事だった。ずっとアマゾンを旅して回ってた。その頃結婚したんだけど。5ヶ月も6ヶ月も旅行しながら仕事してたよ。そのうちにぱったり給料が払われなくなって。しばらくは我慢してたけど、ある日社長と喧嘩になった。それはもう凄い喧嘩だったんだ。奴はそれから1週間後にいなくなったよ。逃げたんだ。その仕事は凄く気に入っていたんだけどね。いろんな河の色んな森に行けたしね…。僕にとっては素晴らしい仕事だった。で、その後フランスの幾つかの業者から誘いがあって、木材輸出の仕事を続けないかと言う。当時ヨーロッパで一番大きな家具会社だったタウリという会社からの引きが強くてね。社長が自らベレンに乗り込んできたんだ。そこと契約することにした。で、契約して直ぐに会社からアフリカのコートジボワールに派遣されて、6ヶ月間、木材輸出の先進技術を学ぶ研修に参加した。ブラジルに戻って、赴任してきたフランス人の事務所長のしたでブラジル支店の技術部長として働いた。1年後、会社は4万ドルの使途不明金を抱えながら倒産した。私が森に入って部下達と調査していて、彼らへの給料が届かないので不審に思ってキャンプをそのままにして街に帰ってみたら事務所が閉まっていたんだ。もう2度と森に戻らなかった。

好きな森なのに帰らなかった?

だって部下達への給料を持って帰れないとなると、僕の命が危ないから。彼らにとっては僕が雇い主だからね。何を言っても信じてもらえず殺されかねないと思った。

さて。

さて。(笑) その時はもう今のこの土地も持っていたから、ここで養鶏をすることにしたんだ。初期投資が少なくて済むし、2ヶ月で直ぐに出荷出来るしね、うまく行くと思って。最初は800羽から始めて、5年後には12000羽まで増えたよ。人を使わないで一人で全てやったんだ。

本当に一人で!?

ああ。新聞記者をやってる兄弟に、農業・養鶏に関する本を送ってくれるよう頼んだら、30キロ分送ってくれて。それで独学したんだ。

成功した?

ああ。うまく行ったよ。トラクターも2台買って、12歳になる娘に運転させてね。おかげで良い時には娘二人を1年半フランスに遊学させられるだけのお金があった。3番目のをヨーロッパにやろうとしたときにはもう金が無かったんだ。

そんなにうまく行っていたのになんで?

90年にコーロル大統領のやったことをしっているかい? 当時8000羽の鶏舎と4000羽の鶏舎を持ってたんだが、8000羽を土日で売って、金曜日の支払いに備えてその売り上げを月曜日にオーバーナイトにいれたら(当時はインフレ率が月90%。一晩で3%の利子がついた)、火曜日に預金凍結された。お金が戻ってきたのはそれから2年後さ。残った4000羽で何とか続けようと思ったけど、何時の間にか支払いだけで首が回らなくなりそうな状態になってた。だから全てを売ってゼロに戻したんだ。その後に思い付いたのが熱帯魚の養殖さ。何も知らなかったけど、これも独学で何とかしたよ。最初は上手く行ってた。事務所をベレンの街に買って、そこで魚を売ってたんだ。でもその店はもう売ってしまったし、以来魚の商売はずっと下降線さ。

でもピエールさんベレンに店持ってませんでしたっけ。

ああ、あれは息子が開けたんだ。

お子さんは何人いるんですか?

女が二人、男が二人。息子は二人とも結婚してて、娘は二人とも失業中なんだ。

みんなベレンに住んでるんですよね。

そう。みんなここが嫌いだから(苦笑い)

いつまで皆でここで住んでいたんですか?

一番上の娘が12歳になったときに、ベレンで勉強させることにしたんだ。それが家族がばらばらになる始まりだったんだな。女房も娘についてベレンのアパートに住むことになって。

ここに一人で住んでいて寂しくありませんか?怖くはないですか?(この街道沿いでは今年に入ってから強盗殺人事件が起こった)

寂しいことは寂しいけど。怖くはない。自分に自信があるし、必要な武器もある。でも怖く無いと言えば言い過ぎかな。いつも自分の恐怖を乗り越えようとしてるんだ。例えば、そとで何か物音がすれば必ず見に行く。何だろうと思ったまま放っておかないことが大切なんだ。でも寂しさはどうしようもない。一日中雨が降ってすることが無いと、どうしようもない気分になることは、確かにあるね。

一つだけ言えることは、一人で暮らす人には必ず動物が一匹は必要だということ。一人で暮らしていたら、食事をしないで済ませてしまうこともあるかもしれない。でも例えば犬が一匹いたら、彼に餌をやることが義務になる。そのついでに自分の飯も作るようになる。動物を飼うということは一種のテラピー(癒し)なんだ。動物を飼うということは、何者かを扶養するということだからね。鳥にとっても、犬にとっても、飼い主というのはとても大切な存在になるわけだから。動物を飼うことで、誰かにとってかけがえの無い存在になるということだから。

もし犬がここにいなかったら(ここには5匹の犬がいる)、我慢出来ないと思いますか?

多分無理だね。彼らは頼りになるし。絶対に見知らぬ奴は家に上げないから。まあこの所は夜中に誰かが侵入してきたり、ということは無いがね。

「この所」ということは、しばらく前にあったんですね。

そうだねぇ、2年前だったか、朝の9時に熱帯魚の世話をしていたら、3人組みの武装した強盗が侵入してきた。奴等は僕を森の奥へ連れて行こうとしたんだ。彼らが不運だったのは、僕を年寄りだと思い込んでしまったことだな。簡単だと思ったんだろう。3人のうち一人は私がやっつけた。拳銃の柄で歯を折られはしたがね。他の二人を犬達が襲っている間にリボルバーを取りに走った。後ろから4発ほど撃ってきたが、当たらなかった。リボルバーを持って彼らのところに行くと、彼らは逃げようとしていた。

それで、撃ったんですか?

そこが彼らの運の強いところさ。1発撃ったあと、引き鉄が引っかかって打てなくなったんだ。

そのあと彼らは二度と襲わなかった?

既に一人は死んでるしね。

え、死んでるって…?

(ピエール氏ニヤッと笑う)他の連中は連邦警察も探していたようだが、結局見つかっていない。

話は変わりますけど、他の人と話していて、ピエールさんの、あの欲の無さはいったい何なんだろう、っていう話になったんです。一体何だってそれほどに欲が無いんですか?

さぁ、多分お金のためならどんなに汚いことだってやるっていう連中を見てきたからだと思うよ。盗む、殺す、金のためならなんだってやる。汚いことをやるたびに金持ちになっていく、そんなのは我慢できないんだ。自分にとって大切なのは誠実であること。友情を大切にすることの二つだ。本当の友達は、自分がここで困難にぶちあたったら、たとえ15年間会っていなくても、はがきを一通書くだけで飛んできてくれる。

その友達っていうのはフランスにいるんですか?

世界中に散らばってるけど、3人くらいはフランスにいるよ。

フランスに帰りたいと思いますか?

それは思うさ。でも叶わぬ夢なんだ。なんで帰りたいって、母さんに会いたいからなんだけどね。93歳の。母さんにはこの20年間、毎週かかさずに手紙を書いてるよ。

でも、フランスの遊学から帰った娘の話を聞いていると、あまりのフランスの変貌ぶりに、本当に自分が帰りたいのかどうか分からなくなってくるんだ。今まで5回ほどフランスに帰ったけれど、最後に帰ったときは一日しかいなかったよ。故郷の駅に降り立ったら、街頭で学生がデモをやってて、あまりにばかなことを言ってるんで反対意見をいったら喧嘩になった。向こうがかかってきたから応戦してやったよ。二十歳そこそこの何にも知らない若造が知ったようなことをぬかしてるから。あんな若造には負けんよ。そんで家に帰ったんだけど、その30分後には隣の家のおばさんと喧嘩してた。

なんだってまた?

まあ昔から感じの悪いおばさんだったんだが、親父がまだ生きている頃、フランスに帰ったらそのおばさんに一発かましてやるって、親父と約束してたんだよ。まあその後も兄弟やらがみんな自分を訪ねてくれるんだが、話しているとお互いの間に大きな溝があることが分かって…。共通の話題が何も無いんだ。いたたまれなくなって、翌日荷物をまとめてブラジルに帰った。

うーん。私も将来日本に帰るたびにそんなことを感じるんでしょうかね。

そりゃそうだよ。僕が若かったころは変化のスピードも緩やかだったが、今じゃあ5年経ったら全てが変わっていたりするからね。

複雑ですね。

そうだねぇ。

インタビュー後記

随分長いインタビューのようですが、実はたった1時間半のインタビューでした。それほど話の内容が濃かったということでしょうか。それにしてもスゴイ人生です。

氏は非常に温厚で、欲の全く無い仙人のような人なのですが、それが「強さ」に裏付けされた優しさなのだということが、今回のインタビューを通してじわじわと伝わってきました。氏は現在、木造の家に愛犬5匹と一緒に住んでいます。彼の家には山ほどの昆虫標本(何せ彼の名前の付いた昆虫や魚は10を下らないと言います)と虫眼鏡やピンセットの他に、散弾銃とリボルバーが一丁ずつ、ポロン、という感じでおかれています。一匹狼の隠遁学者、という形容がぴったりのピエールさん。いまだに謎な所もあって、何ともイカシた人なのです。

 

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