アマゾン移民物語

第五部南米唯一のすっぽん養殖場オーナー

一匹狼野口さんの場合

野口宏(のぐちよしひろ)さん(58)、1942年2月13日東京浅草に生まれる。海外雄飛を夢見て東京農業大学農業拓殖学科に入学、卒業後、学部の助手としてブラジル研究にいそしんだ。大学から一時期留学もしていたブラジルへの移住の夢を捨てきれず、ポルトガル語の勉強を続けていた野口さんにブラジルでの仕事の話が舞い込んだのは、本当にひょんなきっかけからだった。様々な職歴を経、現在南米で唯一のすっぽん養殖場を経営。すっぽん2万匹の父。(2000年3月21日・ベレン郊外すっぽん養殖場事務所にてインタビュー)

 

 

3歳で終戦でしたからね。親父の実家に疎開して、その後埼玉県に引っ越して、東京に戻ったのは9歳の時でした。

ブラジルに来る前は何をされていたんですか

東京農大に勤めてました。

教鞭をとられていたという話を聞きましたが

教鞭というか、助手だったんですけどね。

専門は?

農業経済研究室でブラジルの研究をしていました。今は国際農業開発って言いますが、当時農業拓殖学科っていうのがあって、海外に移住したり技術協力で行く人材を養成してたんですよ。大学に入るときから外国に出ることを目的として入学してましたんで。ブラジルに行こうというはっきりした意識は無かったですけどね。まあパラグアイに行くかボリビアに行くかブラジルに行くかって…、とにかく南米に出ようとは思ってたんですけど。

南米に行きたいっていうのには何か理由があったんですか

まぁ個人的な理由なんですけどね。まぁ、とにかく性格的にあまり日本に合わないしね。高校出てから実家で3年くらい仕事してたんですよ。それで大学にはいるのも3年遅れたんですが。まあ兄弟で仕事するのって難しいんですね。どうも兄貴とうまく行かないし、やめて大学に入って。

日本が嫌だったって言うのは

まあ決まりきった仕事するのが嫌だったですしね。

ブラジルに来る直接のきっかけは何だったんですか

大学でポルトガル語を専攻してまして、先生も良い先生だったんですが、クレスポさんっていう。いくらか出来るようになったところに、当時東京農業大学とパラー農科大学の協定をはじめようっていう話があって、千葉三郎先生っていう代議士さんが以前東京農業大学の学長をやってた関係もあったんですけど、そのときのパラー農科大の学長を日本に招待したんですよ。で、ポルトガル語が出来たもんで案内役についたんですよ。で、学長さんが帰国するときに「あんたブラジルに来ないか。就職世話してあげるから」って言われたんですよ。そのときは職員だったんですが、その頃日本では学生騒動があったころでね、学科改革とか色々やってみたんだけど、暖簾に腕押しでねぇ、だめなんですよね、組織っていうのはね。代わり映えもしないし、このままいても人生の無駄だなって思って。丁度そんなこと考えてた頃にブラジルでの就職の話があってね。まああまり期待はしてなかったけど、来てみたら本当に世話してくれたんです。

どんな職業を世話してくれたんですか

州の農務局でした。そこで長官の補佐官として雇われましてね。で、当時日本でもらってた給料がボーナス別にして大体17万円でしたけど、ブラジルで30万円貰えるようになりましたよ。当時ブラジルは景気良かったんですね。「ブラジルの奇跡」の時代ですよ。31歳の時でしたかね。その当時農務局には日本人日系人っていったら、一人だけ日系人がいましたけど、日本語全然しゃべれなかった。

戸惑いとかは無かったですか

ありましたよ。何して良いか分からないしね。規則も何にも分からないし。フェリアス(長期休暇)とるのだってどうやるのか分かりませんでしたしね。いくら言葉が出来たっていったって、報告書書くっていっても全部ポルトガル語ですしね。

日本人がいきなりブラジルの役所に雇われるなんて、聞いたことないですけど。

恐らく僕だけでしょうね。ピアウイに一人いましたけど、それはしばらくブラジルで暮らしてから入ってますよね。直接日本から来たのは僕くらいでしょう。

最初の数年でブラジルの生活には慣れましたか

そうですね。まあでもあまりブラジル人とも日本人とも付き合いないですけどね。でもここではそれはそれで全然関係ないですもんね。日本だったら変わり者だなんて言われるけど。

気楽ですもんね。

そうですよ。

そう言われてみればブラジルには「変わり者」みたいに人と違うことをネガティブに言う単語はありませんもんね。

そうそう。

農務局での仕事内容は?

それが来て早々パチュリっていう香料のもとになる作物の失敗プロジェクトの尻拭いをさせられましてね、2年がかりで。まず長官から言われたのが「いまこういうプロジェクトやってて、もう直ぐ農家からこれだけのパチュリがあがってきて、それを売らなきゃならないから油の販売先を探して来い」ってわけですよ。で調査してみると買ってくれそうなところはたくさんある。売れそうなんですよ。で、売るのには問題が無いからじゃあ生産はどれくらい出来るのかと思って調べてみたらまったく駄目だった訳です。ひどい状態でね。

それは州のプロジェクトだったわけですね。

そうです。ただし農務局の担当者は本局に「非常に上手く行ってる」なんていう報告書しか出してなかったですから。ある程度の知識がある人がみれば、あんなプロジェクトが成り立たないなんてことは簡単に分かるはずだったんですよ。だって、パチュリは紫蘇のような感じの作物ですが、人の背丈の半分くらいになったらそれを刈り取って乾燥させてそれを蒸留させるわけですが。プロジェクトでは最初の年に1haで20トンの乾燥した葉が取れ、その後は60トン生産できるようになるというんです。ところがですね、作物で一番生産量が多いのはさとうきびですよ。さとうきびは1haでそれこそ何十トンもとれますよ。でもそれ以外、芋を除いては1haで20トン取れる作物なんて無いですよ。しかも乾燥して20トンなんてことありえないわけですよ。そういうデータで始まっちゃってるから、上手く行くわけないんですよ。

で、どうされたんですか

うん、その頃はね農業融資だすほうも、受け取るほうもどういう意向でやってるかなんて分からなかったですから、ただ純粋に農家の現状を見て何とか農家を救済しなきゃと思ってね。農業融資を利子無しで99年間で返済するようにしてね、まあただですよ。まあそれで農家救済は出来たわけですが、後々ブラジルの農業融資とか農家の事情を良く分かってみると、あんなに一生懸命やる問題でも無かったなあとは思うんですが。

なぜですか

というのはね、農家としては融資を受けるときに、融資で食べてしまうことが頭にあってね、プロジェクト自体が上手く行くかなんてことを考えてる人ってほとんど居ないんですよね。当時はそうでした。インフレがひどかったですから、金利に対する政府の補助金も出てましたし、融資を受けさえすれば、後になって目減りして返す頃には二束三文になってたんですよ。だから農業融資受けて、何が一番儲かるかって、何もしないのが一番儲かったんですよ。だから農業融資出せば出すほど農業生産が落ちるっていう時代だったんですよ。

それで成り立っていたんですか

そうなんですね。銀行は農業融資を出すときにいくらかのキックバックがあるわけですし。プロジェクトを作る州政府の役人にも肥料会社やら何やらから付け届けがあるわけですよ。みんなでそれで食べてた。

そういう状況で割を食うのは

納税者ですよ。まあ、こういう構造は何もブラジルに限ったことじゃなくて、多分日本でも同じだと思いますけどね。

農務局にはどれくらい居たんですか

6年です

長かったんですね。

ええ、そのうちの4年間はパラエンセ組合という農業組合に出向して再建に携わりました。パチュリプロジェクトの尻拭いが2年で終わりまして、一段落したころにパラエンセ農業組合が破産状態になりまして。これはブラジルの団体ですが、当時会員のほとんどは日本人でしたね。で、再建っていうことで私の前にも3人くらい入ってたみたいですが、みんな途中で投げ出しちゃって、挙句に農務局に私を派遣するように要請を出したんですよ。

行ったときはどういう状況だったんですか。

それはもうひどかったですよ。財政的にも事務的にもめちゃめちゃで組織の体を為してなかった。潰れた状態でした。でも直感として3年あれば何とかなると思いましたね。その通りになりましたが。最初は本当に大変で、3ヶ月で髪の毛が真っ白になりましたよ。睡眠時間は2時間くらいでしたしね。半年くらいそんな生活が続きましたね。再建のめどがつくまでに2年かかりました。

その後はどうされたんですか

ベレンの日本総領事館で働きました。

それはまたどうしてですか

昔大学の職員だったときにブラジルに留学していたことがあって、大学からの要請で色々な資料集めをしたことがあったんですが、その当時のレシーフェ総領事館の領事で、自分で車を運転して資料集めに奔走してくれた方がいまして、その人が僕が丁度「もう組合には用事が無いな」と思ってた頃にベレンの領事館に総領事として赴任してきたんです。それで政治経済担当の現地採用の事務官がいないで困ってるから手伝ってくれって、組合に頼みに来たんですよ。私をくれってウイスキー1本持ってきてね。で私もちょうど辞めようと思ってたからね、留学に来たときもだいぶ世話になってたしね。まあ一年くらいお手伝いしましょうと。

じゃあそこでブラジルのお役所とは縁が切れたわけですね。せっかく良い待遇だったのに、それを捨ててしまった。

まあ僕は個人的にはですが、日本のホームレスみたいにテントに暮らしても何とも思わないからね。平気なんですよ。お金が仮にあったとしてもそれほど使う気にならないしね。一時はずいぶんお金持ってたけど、今は無いです。

お金には興味が無いんですか

というかねぇ。お金持ちの生活をする気が無いんですね。貧乏がいやだとも思わないし。だからみんな弾みでね。風が吹くようにあっちに飛んだりこっちに飛んだり。ははは。

領事館では苦労しましたか

いやあ、報告書書きでしたけどね、政治とか経済とか好きですから。面白かったですよ。ただああいう上下関係がはっきりした所は僕には合わないですね。一番上にたってればね、使われるほうにとってみれば良い上司だと思うんですよ。でも人に使われるように出来てないからね。だから…。まあ人によっては僕のこと買ってくれてね、本省の職員にならないかって世話してくれた人もいるんですが。僕には向かないからね。断りました。

もともと一年という約束だったんですよね。

まあ代わりが居なくてね。4年たって代わりが見つかったときに辞めました。

で、その後は

女房のすねかじって生活してました。

奥さんは何を

医者で、薬局も何軒か経営してます。

で、その後にこの養殖場を始められた

そうですね。

野口さんの経営するすっぽん養殖場

 

すっぽんのことは日本から研究していたんですか。

いえ、こちらに来てからですね。最初こちらに移住してきたころ、まあ野生動物は捕獲販売禁止だったんですが、当時もぐりで亀なんかを年中売りに来てたんですよ。で、養殖すれば正規に売れるってんで、この辺の亀を何種類か飼ってみたんですよ。でもとてもじゃないけど採算に合わないんで。で、たしかすっぽんは気候的にも合うし、繁殖もしやすいってんで始めようと思って最初は自宅でやってました。この土地を買ったのは勤めを辞めてからだったかなぁ。

すっぽんっていうのはもともと何処のものですか

これは東南アジア、日本が原産です。世界にたしか7種類くらいいます。シナすっぽん、日本すっぽん。ここに居るのは多分日本すっぽんとシナすっぽんが混ざってるんじゃないかな。あとインドからマレーシアにかけては大きくなる種類がいますけど。

ここにいるものはどれくらいまで大きくなりますか

かなり大きくなりますよ。多分6〜7キロまでなります。出荷するのは1キロくらいのものですけどね。

こんな可愛いすっぽんの子供が

こんなになっちゃうんですね

 

もともとそういったことのノウハウはあったんですか。

いやまったくありませんでした。素人でした。色々飼ってみましたけどね。ワニなんかもね。

ここにいるすっぽんは日本から持ってきたんですか

ええ、まあそうです。ただ私がすっぽんの養殖を始めるまえにサンパウロで日本の小さな商社が大々的にやってたことがあるんですよ。日本から小さいのを数十万匹輸入してね、15年くらいやってたんじゃないかな。でもとうとううまく繁殖できなくて辞めちゃいましてね。一応そこから買ったことになってるんですが。

で、ここでの繁殖は順調に行ってるんですか。

まあ思うように増やせるようになったのはこの半年ですね。それまでは増やせることは増やせたんですが、安定的に増やせなかったんです。今でも完全では無いです。技術的にはまだ8割ですね。

難しさっていうのは

すっぽんの場合は原産地と違うところで飼うのが非常に難しいとされてます。例えば日本でも台湾あたりから輸入して増やそうとした人もいますが、ほとんどうまく行ってないです。気候もほとんど同じなんですがね。

それは交尾しないということですか

いや、やっぱり病気で死ぬんですね。

今ブラジルですっぽんをやっている人は他にいますか

居ません。すっぽん自体が南米にはいませんし。北米には似た亀がいます。フロリダにはすっぽんがいます。ヨーロッパにもいます。あとはアジアですね。

ここのすっぽんは日本にも出すんですか

いや、出さないです。この間もニチレイの子会社のアマザというところの人が日本にもっていってくれましたが、日本には中国のすっぽんが入っていますからね。中国との競争っていうのはほぼ不可能ですね。それから品質の面でも日本っていうのは非常に素材にうるさいです。流通に関しても、すっぽんに関しては日本の流通はごく特殊な状況で、生産者から仲買人を通じて料亭に直接行ってしまうんです。市場にはほとんど出回らない。年間の生産量が1000トンとして、市場に出回るのは60トンですよ。だからその流通経路に割り込むっていうのは非常に難しいんですよ。人間関係でつながっちゃってますからね。それにここで養殖したものでは日本人の舌に合うものが出来ない。専門家に言わせると同じ種類でも養殖場によって味が違うといいます。評判の養殖場のすっぽんには他所の3倍の値段がついたりしますから。

日本ではすっぽんは珍味と言われていますよね。

そうですね。日本では特殊な需要になってます。だから需要があまり伸びないです。ゲテモノ、強壮剤というイメージが強すぎて、第一女性があまり食べたがらない。値段が極端に高いので普通の人じゃ食べられない。それから一匹つぶすと日本では大体8人前作れるので一人じゃ食べに行けない。必ずその場でつぶして料理しますから。それから料理を始めてから出来あがるまで大体2時間かかりますから、ひまな人じゃないと食べられない。日本であれば、すっぽん専門店で良く売れるところでもせいぜい年間300キロっていうところですかねぇ。いや100キロも出ないかもしれない。なにせ日本の年間の需要が1000トンと言いますからね。その点中国はその点全然違います。例えばサンパウロに出荷するようになってたまげたんですが、あそこの中華料理屋には1週間で70キロ売れるんですよ。だいぶ前ですが、サンパウロの商社から引き合いが来たことがあるんですよ。アメリカにすっぽん出さないかって。値段が安くて量が多かったから出来なかったですけどね。そのときは月に8トン出してくれって言われた。だからアメリカの中国人社会だけで日本の需要の10分の1を消費するってことです。

今後はアメリカの市場も睨んでということですか。

そうですね。でもアメリカの市場は中国と争うことになりますから簡単じゃないです。まあでもフランスでも安定供給するなら買うって言ってるところはありますから。ブラジルでもちょっと宣伝すれば流行ると思いますよ。

ブラジル人だったらどう料理するんでしょうね。

ありとあらゆる料理が出来ますよ。刺身から煮物から。

刺身っていうのはしかしどんな味がするんでしょうかねえ。

いや僕もまだ食べたこと無いです()。でもあまり変わった味はしないです。あと僕がやってるのは卵を乾燥させてカプセルに入れて健康食品として売ってます。これもずいぶん需要がありますよ。これは今フリーズドライの機械を動かすオイルが切れたので一時製造中止してますが、AMASAの人が日本から持ってきてくれたから来週くらいからまた始められそうです。風邪ひかないし、疲れもとれるしねえ。引き合いがよくありますよ。

話は変わりますが、以前千葉三郎代議士の仕事を手伝われていたという話も聞きましたが。

それは東京農業大学に勤めていたときです。千葉先生がトメアスーでマンジョッカ(キャッサバ)アルコールプロジェクトっていうのを始めたんですよね。マンジョッカで燃料用のアルコールを作るっていうね。で、うちの大学に誰か手伝ってくれるひとを派遣してくれっていう要請があって、それで私に行って来いっていう話になって、議員会館なんかに年中いって手伝ったりしてたわけなんです。こちらに移住してきてからもしばらく手伝ってましたが。まあ最後のほうで行き違いがあって、私は責任取れないから辞めさせてもらったんですけど。

千葉先生ってどんな方でした?

まあ代議士されてましたからねぇ。ただまあ政治家の一般的な傾向ですが、来るものは拒まずというような感じで。自分の名前を残したいっていうことと世の中のために何かしたいっていうこと、それとひとつはトメアスを何とかしたいっていう気持ちが非常に強かったと思います。このマンジョッカ計画でトメアスを再建して、トメアスの人達の生活を楽にしたいっていう気持ちがあったんだと思いますよ。っていうのはあの方は南米拓殖がトメアスへの移住を始めたときの責任者の一人のようなものですからね。そのあとトメアスがああ言う状態になって、悪性マラリアでひどい状態になって、それこそ逃げられる経済力のある人はみんな逃げ出したっていう状態にまで落ち込んで、千葉先生はそのことに責任を感じていたんだと思います。だから、プロジェクトを成功させるためのことが頭にあったのじゃなくて、トメアスを何とかしたいという頭が先にあってプロジェクトが出来てきてますからね。無理があったんですよね。それが失敗の最大の原因だったと思います。

アマゾンは好きですか

嫌いなことはないですね。まあ日本にいるよりかは遥かに良いんじゃないですか。アマゾンに来て良かったなあと思うのは、子供をここで育てられたことでね。4人いますけどね。遥かにたくましく育ったと思いますもん。日本の一般的な教育者の頭の構造っていうのはあれ全体主義ですよ。民主主義じゃないです。何年か前に日本に行って友達と話していてたまげたんだけど、その子供が小学生だったんだけど、サッカーチームに入っていて、試合に行くからお弁当を持って来いと。で、海苔を巻いたおにぎり以外は持ってきちゃいけないって言うんですって。みんな同じじゃなくちゃいけないって言うの、それは民主主義じゃないですよね。それに反対するといじめられちゃうし。そんな社会で子供を育てたいとは僕は思わないですね。言いたいこと言って、やりたいことやって、それで自分で責任取れば良いのであってね。

やっぱりそういう傾向っていうのは日本人の特徴で、しょうがないものなんでしょうね。

僕は徳川時代の遺制だと思いますよ。あの時代は人と変わったことしちゃいけなかったでしょ。とにかく隣同士監視させて違うことをさせなかった。百姓はいつまでたっても百姓。変わり者は村八分になって生活できない社会だった。今日本でやってることはあの時代とまったく同じことでしょう。日本人を駄目にしたのは徳川時代だと思ってます。織田信長が生きてたら、今の日本人はまったく違う日本人になってたんじゃないかと思います。あれは経済学者としても天才的な人だったと思いますね。

ほかに野口さんが感じるブラジルの良さって何ですか

ブラジルって秩序の無い何でもできる社会でしょ。頭使って体さえ動かせばなんでも出来る。日本みたいに仕事と関係無いところで押さえつけられちゃうところが無いでしょ。能力さえあれば何でも出来る。自分の力を最大限に生かせる社会です。日本は人間関係の調整だけでくたびれちゃって仕事になんないもん。何が疲れるって人間関係ですよ。僕みたいな人間でも嫌ですもん。盆暮れに上司にお中元お歳暮贈だなんだって、僕はそういうことするの大嫌いなんです。やったことないですけど。

そういう性格だと損することも多いんでしょうね

うーん、僕はあまり損得とか考えないからね。駄目ならどっかいって別のことすれば良いからね。お金が無くなったら無いなりの生活すれば良いしね。

今後の予定としては

まあ取りあえずこの仕事を採算にのっけてね、それから後はまた別の仕事があればするかもしれないし。さしあたりはこれでやってきたから。間もなく採算には乗るだろうから、その後はこれは能力のある人がいたら、どんどん大きく出来る仕事ですよ。

ただ、一回やった仕事には戻りたくないですよね。弾みでどこへでも飛んでいくけど。

ところで奥さんはこちらで知り合われたんですか

ええ。こちらに留学しているときに知り合って、結婚して一旦日本に連れて帰ったんです。日本生まれでトメアス育ちですけど。ブラジルに帰ってきたひとつの理由っていうのは、女房が医者だったもんで、仕事するならブラジルのほうが、ということはあったんですよ。

日本にサウダージ(郷愁)感じることってあります?

全然無いですよ。用事が無ければ日本に行こうなんて思わない。帰っても1週間ですね。10日居た事は無いです。一番短い時は2泊3日で帰ってきたこともあったね。日本で良いのはお米がおいしいのと蕎麦がおいしいのと、それくらいですね。

何にも執着ないからね。僕は、人生っていうのは生まれてから死ぬまでの暇つぶしだと思ってますよ。やりたいことやって、弾みであっちに行ったりこっちにいったりして、そのうち寿命がくればそれで良いって。大体人生なんて意味無いんであってね。生まれてきて死ぬだけのことで。森羅万象すべて終わりがあるわけです。地球だって太陽だって。だから僕は死んでも墓は作らないように言ってます。葬式もミサも一切しないこと、とにかく焼いて捨てて終わり。

墓くらいは良いんじゃないですか

墓なんていらないよ。だって墓が何代持ちますか。5代前の墓が残ってるひとなんて殆ど居ないでしょう。五代前の人の名前知ってる人なんて誰も居ないでしょう。一世代30年として五代でも150年でしょう。宇宙の時間から考えたらまたたきする瞬間くらいですよ。それしか持たない墓なんて作って何の役に立つんですか。面倒くさかったらごみの袋に入れて捨ててもらってもかまわないよ。でもやっぱりそれだと問題になるからね。

奥さんはなんて言ってます

まあ何も言わないですよ。良いわよとも何とも言わない。

人生なんて意味付けする必要は何もない。いずれ地球だって無くなってしまうんだから。いずれ太陽が地球の軌道から火星の軌道くらいまで膨れ上がるでしょう。そしたら皆太陽の中に入ってしまう。確か地球も太陽も寿命の半分くらいは過ぎてるでしょう。

だから生きてる間にやりたいようにすれば良い。その代わり貧乏したり苦労したりしても自分で責任とれば良いんであってね。だから僕は女房や子供が何しようと何も言いません。生きたいように生きれば良いんです。絶対に正しい善も絶対に悪い悪も無いんですから。

子供達にはそういうこと言いませんけどね。本当にポイントしか言わない。でも分かってると思いますよ。だから責任取れないような悪いことはしないし。せいぜい高校生の末っ子が毎日午前様ってくらいなもんでね。

 

インタビュー後記

はたから見ると物静かで実直そうな方なのですが、このインタビューを読んでも分かるように、頭脳明晰、言いたいことを理詰めでズバズバと言う、竹を割ったような性格の人なのでした。相手が誰であろうと正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると言う、当たり前のことなのですが、これはブラジルに住んでたってなかなか出来ないことだと、私は思います。最後のほうで、思いがけず、氏の哲学の片鱗を感じさせる言葉を聞くことができましたが、傍目には投げやりな執着心の無さも、こう理詰めで話されると、舞台がブラジルだということもあってか、すんなりと共感できてしまうんですよね。

このインタビューのあと、私も墓は作らないことに決めました。ちなみに、まだ女房には話していませんが…。

 

バックナンバー

第一部・アマゾンの篤農家・北川さんの場合(3月31日UP)

第二部・森の昆虫学者・ピエールさんの場合(4月30日UP)

第三部・開拓最前線のエリート医師・中西さんの場合(7月13日UP)

第四部・現代のコンデコマ・町田さんの場合

 

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